まんせー
今年早かったね。
毎年早くなっているなんて嘘で、
実際には早い年と長い年があるって感じで
大体自分の誕生日を迎えた時にもう終わるのか
という焦燥感と
あれから四年たったという事実をただ突きつけてくるのと
それと同時に今年で四年目になったブログですが、頻度も質もぼちぼちでだらだら書くだけを続けております。
1.
今日の話をすこしすると、
東京駅の丸の内口から心踊らせなが改札を出て、少し暗い入り口に観光客や、ツアー客が集合している。
そこから外は白飛びしていてうまく見えないが、今日の天気の良さだけはわかる。
歴史のある東京駅の外観。
よくテレビや観光雑誌で見るような場所で、広々としたスペースがみえる。
色彩はすでに戻っていて紅葉した木やより高く感じる空をみて大きく息を吸う。
それぞれが思い出を写真に残す場に初めて来て、もし海外の友達を連れてくるならここで思い出を残してあげようとそんな変な優しさを持って国際フォーラムへむかう。
今日は日本でかなり大きな骨董市が行われていて、掘り出し物を探しに出てきたのだ。
フリーマーケットが好きな自分が掘り出したのはラグだったり、ピンバッチや、禁煙したはずなのに灰皿。
自分が欲しいものは誰かが大切にしたなにかであった。
年末に差し掛かる前に煌びやかに装飾された街並みに子供の頃にサンタからもらったものを思い出す。
父親のパジャマと似た包み紙を父親だと思って寝たふりをしていたのを、
両親はドキドキしながら待っていたのだろう。
そして階段を笑顔で降りてきた私のプレゼントを2日でチリにした父の顔を今でも思い出す。
2.
「性的な欲動は訓練することができず、その訓練もあるいは過剰になったり、あるいは不足しすぎたりする。」
むかしの哲学者は天才だとおもう。
今の世の中で多様性は認めるという流れが強くなっている。
では異常な性癖を認めることも必要なのだろうか。
自分が考えた最近のテーマとして
"住み分け理論"である。
この理論はかなり便利で
自分には許容できない人は"住み分け"が必要なのだろうなという考えで、
認める認めないとか、思いやるとか意識するとかせずに、
"これは自分の人生には知らなくてもいい、必要のない選択でストレスがうまれる"ため、
住み分けが生まれるという考えである。
植物がそれぞれ過ごしやすく、1番綺麗な花を咲かせられる場所で力強く根を張るというのとにていて、
人もそれぞれが過ごしやすい場を選ぶような感覚である。
しかし、人は選べる場合が多いが性に関してはなかなかそう割り切るのも難しい人もいる。
とくに特殊な性癖をもつ当事者は、肩身が狭い路地裏など、ほかの人が咲かない場所をわざわざ探して密かに発散するほかない。
「エロは捨てるところがない」
と言われるぐらい需要の幅は広い。
でも、だからこそ多様性だと言って認めようとしたり、思いやる必要もないと思う。
その人のオアシスにズカズカ入り込んで晒す世の中になるぐらいなら、
住み分け理論で何も考えないようにするのが1番の優しさではないかとおもう。
という。
今日は真剣な話でした。
"住み分け理論"が自分的にしっくりきて、
人間関係を整理して頭に散らばった本をきちんと本棚に入れることで
今日もスッキリ起きて行動することができます。
これを"清算理論"といいます。
清算しなきゃならないんだよ。
清算して一旦。
あと寒いからね今
あったかくして寝なよみんな。
あと、今年も年末特大号の時期だね
でも年末はさ今年の振り返りしてさ、
年始特大号でビバ韓国編にしようかなっておもってる。
できたらどっちもやるよ。
そんなかんじでバイバイ。
いじょ