『イマゴオリィイ家』の奇妙なブログ

アフェリエイトじゃないです。一緒にしないでください。

ピーチ・ジョンがやってくる

まんせー

花粉がやってくるとともに、18歳は巣立つ。

高校という3年間のモラトリアムを終え、それぞれの暮らしの在り方で進んでいく。

人生の分岐を終え、その走り出しを見ると期待よかは不安やストレスが大きそうだ。

卒業を思えばアニメが出てくる。

それは日本独特の感性だろう。

お国柄ともいえる終わりよければなんとやらが1番影響を受けているのはアニメな気がする。

平成10年に生まれた私がこの時期を毎年繰り返して思い出すのは

 

けいおん

 

である。

当時若干12歳の私は震災の時に卒業式をしたため、

体育館の中に無造作にひかれたブルーシートの上に幾度となく並べたパイプ椅子に座り、約30分という短い時間で形だけ済ませた卒業式だった。

それでも自分たちのために無理して参加してる人もいるだろうと、生徒は特に突飛なことをせず、静かに座っていた。

本来、来賓のあいさつや在校生の掛け合いがあるが、それもなく、

本当はしっかり練習していたはずの「栄光の架橋」も地震の恐ろしさを知ったあの時は

いつくるかもわからない恐怖で歌なんか入ってこなかったと思う。

そーゆーのを省いて良いところだけの卒業式は自分の性に合っていて、良かった。

けいおん」は火曜日の一時ぐらいにやっていた。

第一期が始まった時は、まだ5年生から6年生ぐらいで詳しくはあまり覚えてはいない。

その時は今日のように起きることはしなかった。というか、できなかった。

アニメをみるようになったのは姉からの影響が大きい。

しかも深夜アニメはエッチなやつもあって、アニメを見る口実でムラムラを解消することもできた。

だがそーゆーエッチなやつだけ姉は見てすぐ録画から消していたりした。

当時はあんな意地悪な姉はいないと思っていたが、

「消されるならば消される前に見るしかない。」

という臨機応変な対応を学ばせてくれたのだと思う。

優しい姉である。

エッチなもののためならほとんどのことを諦めずにできる。

そーやって録画一覧の選択欄から15分だけその"見たいアニメ"を見れる事がわかった。

これのいいところは実際に選択してしまうと未読の欄から消えてしまうが、これは未読のまま見れる。

しかし、オープニングやCMも見なければならないため、かなりの忍耐がいる。

それを姉や母が帰ってくる前に見る必要があった。

仮に、それですごい気になる場合は再生して、姉に

「あ、なんかこのアニメ?ナルト見ようと思って間違って再生したから未読にないから。」

と母がいる前で言うと納得してくれた。

わざわざナルトや銀魂をそのアニメの周辺に並べる技も手に入れていた。

完全犯罪である。

色々盗み見て、その15分を見るために母が仕事の遅い日を観察して、月曜と水曜と金曜はいつも帰るのが遅い事がわかった。

だからその曜日はわざわざ走って帰る。

なんなら遊びを断る。

それを続けて三ヶ月ぐらい経ち、録画欄に飛び込んできたのが、「けいおん」である

姉はけいおんだけは一度みても消さなかった。

また見るためだろうが、何度も見るぐらいに面白いものなのかと

それからけいおんをみるようになった。

5話までしか見れなかったが、一気に5話みればまた1話から見ていた。

セリフを覚えるぐらいみたアニメは「モンスターズインク」と劇場版ナルトの雪国で虹色螺旋丸を最後に撃つやつだけだった。

けいおんが二期を迎え喜ぶのも束の間、

どんなものにも終わりがあり、

それが卒業式だった。

それをみてから2月ぐらいからそわそわするようになる。

3月を迎える準備を身体が勝手に行う。

けいおんを思い出せば自分の卒業式を思い出し、何度も繰り返し見ても飽きずに見られる。

季節や環境や場面、状況で思い出しまた始めから見始める。

初心に戻るような感覚で懐かしくもあり儚くもある。

そーゆーものを作るために生まれてからの20年を生きたかったと思った。

今も作れているが、あの時の感覚のような繊細で鮮明なものではない。

常にリアルタイムには勝てないのである。

最近新しい発掘もやめられずにいる。

「葬送のフリーレン」を見た。

すでに2週している。

これもまたセリフを覚えてしまうだろう。

 

 

 

 

 

2.中学生で足のサイズが32センチに達した杉浦ヒロキの話

 

服を買わなくなったと気づいたのは、つい昨年ごろで、毎度のようにお互い気づきを得た時に蓮と電話した時にふと話があった。

 

「最近何着てる?」

 

この質問で2人は3時間話したのだが、

その時とはまた違う気づきがあったのでここに書こうと思う。

 

最近何を着ているかの答えはさておき

今の流行りについては大体の大筋を知っておきたいという気持ちもある。

流行りを作るのは雑誌というのは、どの業界もそうで、

"今年はこれを流行らす"

という形で流行りはできる。

そして、よくある勘違いは自分の知りたいことや好きな事が

周りでも流行っているという錯覚に陥ることある。

では"流行る"というのがどこからが"流行る"なのかを定義する必要がある。

ここからはこのブログの文体を崩せるチャンスになっている。

結論は"流行る"とは

"そん時に少しモテればいい"

である。

である調にするだけで勝手に説得力が出て、胡散臭くなくなる。

口語にもどす。

まあ、そんときにちょっとモテればいいのよみんな。

ファッションに時間とか思考をやることはせずに、手っ取り早くやりたいわけよ。

とにかく早く。

そんでいてモテたいのよ。

別になんでもいいんだろうけどさ

おしゃれな人にこの服いいねって言われるの嬉しいじゃん?

センスいい人にセンスいいって言われるの嬉しいのと対極にあるのが、その"流行り"なのよ。

なんでもいいんだよ?

でも、こだわるのがたのしいじゃん?

要は優先順位なんだけど、

優先してるところが似かよれば、

思考も似てくると思うのよ。

じゃあ、"流行り"には手を出さないのはさ、

ものすっごいモテたいからなのね。

めっちゃモテたいのよ。

その時ちょっとじゃなくて、

ずーーーーっと。

常に女に良い目で見られたいのね。

でも、25になってからの最初の質問をされると、

「ん?俺去年と同じ服きてね?」

ってなったのよ。

それなんかダメじゃない?

メガネとかもつけ続ければ慣れてくるけど、

慣れすぎるとつまんなくなるのね。

それって匂いとかオーラとか目に見えないところで

なんかサボってる感とかおきに行ってる感が、生まれてくるわけよ。

忘れてる気がしない?

わすれてるって。

最初はさアウトレットパークで

やれビームス、やれナノユニバース

みーーんな通った道じゃん。

でもあれ着はじめの周りの目つきすごかったじゃん?

「ついにあいつもナノユニバースか」

みたいな。

DCのスニーカー履いただけでヤンキーも友達みたいに話しかけてくれるわけよ。

でも、それも長くは続かなくて

やっぱり見てくれにつまんなさが出てくるのよ

おんなじよーな服しかないから。

そっからがほんとのスタートだったじゃん。

"アウトレットパークにないからおしゃれ"

っていうそいつの趣味嗜好が外面に出るようなものになっていくからさ。

だからこそ、とどまってはいけないのよ。

俺の今は"アウトレットパーク内"

25になって逆戻りしてるの。

でも、別に買わなくていいのよ?

こんな理論なんか俺ぐらいしか思ってないんだから。

でもなんでとどまってはいけないのか。

それが今回の気づき。

いけないわけじゃないんだけど、

写真撮るでしょ?

撮った写真で年代とかこの頃とかわかった方が

楽しくない?

って思って。

元々物持ち良い方ではあるけど、

あえてかえてみる。

そーやってアウトレットパークを抜け出そうぜって話。

だってアウトレットパークにないものは

カッケーからね。

そう思った今回の気づきでした。

最後に杉浦の話。

杉浦身長俺より低いのに足32センチあって、

学校の上履き特注で作ってもらってたんだけど、

おれは陰でピグモンって呼んでたんだけど、

体のバランス悪いからね。

みんなには髪の毛と顔の形からエリンギって呼ばれてて、

目が細いから寝てないのに寝てると思われて先生に注意されたりしてたのね。

んで、本気で走るとその頭のさ、キノコでいうと傘のところが

こう、舞うわけよ。

わさっわさっわさって

めっちゃおもろいよね。

おわり。

 

                  いじょ