『イマゴオリィイ家』の奇妙なブログ

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ビックマネーカミングイェア

1.それって"キセキ"?

 

 皆は"キセキ"だと思える事象を経験する事が一回はあるだろう。

それぞれの解釈でそれぞれのタイミングで判断された"キセキ"を、

どこからが"キセキ"であるとは断定するのが難しいため、

先日自分が起こした"キセキ"を元に他を判断していきたいとおもう。

今回我々が起こした"キセキ"は、

 

『スナックの曲選でgreeeenの「キセキ」がかぶる文字通りの"キセキ"』

 

 

をですね。

これを仮に

 "キセキ"    としたとき、

これ以上は

    「それって"キセキ"」

ということになるということです。

 

例えば、

 

「私が生まれてあなたに出会えた。すなわちこれは70億分の1の"キセキ"である。」

 

これははっきり言って"キセキ"ではない。

私は偏考なので、

運命というのはいくつも枝分かれした環状交差点ではなく、

大きな国道をただ進み、逸れても戻ってくるようなイメージだと思っている。

今回の場合、

「あなたに出会えた」

という事は普遍的であり、必然である。

そのため70億分の1ではなく、1分の1である。

つまり僕たちが出会うとか別れるとかは

ギターにピンと張られた弦を弾けば音が鳴るのと同じように

当たり前のことである。

そんなことを

    「それって"キセキ"」

というのは甚だ遺憾である。

全くもって遺憾である。

うん。遺憾。

使ってみたかった遺憾。

話を戻します。

例えば、

「ジジイが死んで、そのジジイを想い献杯をして、そのまま帰ってすぐに飲みいって乾杯をする。"献杯してすぐ乾杯するキセキ"」

これは"キセキ"と言えそうである。

なぜこれは''キセキ"であると言えそうなのか。

この場合の"キセキ"は

「"献杯してすぐ乾杯"できる強メンタルの明るさを持つことができる人が生まれた"キセキ"」

という分類になるだろう。

"キセキ"というのは医療と一緒で、

「今何がどうなっているのか」を

分類ごとに考え精査する事で結論が出る。

今回の場合は

"そんなやついるのキセキだろ"

といったところだろうか。

"太陽のような人"

という例えをする人がいるが

実際の太陽はそんなポジティブで明るいイメージを持たない。

夏の海に行き、強い太陽光から目を守るために

人はサングラスをかけるだろう。

それは音楽フェスに行って、うるさいからヘッドホンをつけて

いい塩梅で乗ろうとする感じではないだろうか。

だから本来はみてやらねばならない。

そして見ればわかるが

太陽もかなりうなだれたようにしている。

うなだれていて、それでいて強くまっすぐに届くものを感じる。 

江戸時代の頃に"光"いうエネルギーという言葉のない時代に、

葛飾北斎は太陽の光を可視化する際に

まばゆいばかりの太陽光が富士山の頂上から差して太陽の光の華やかさ、強さを浮世絵で表そうとしたのだという。

浮世絵は"憂き世''からだというが、

全くその通りだとおもう。

それは自分の境遇や今までの人生をもとに

"憂き世"だというのではなく、

「"献杯してすぐ乾杯"」することが

世の中で"キセキ"であると認められ、

人生辛く、儚いものである。

だからこそ"明るく"生きようとすることで

初めて"キセキ"とは、"気づき"ということになる。

と、

いう形で最初の話を締めようとおもいます。

もっと周りに目を配って"気づいて"くださいね。

 

 

 

 

 

2. バナナがおやつで1番美味しいと思えた時代

 

ちょうど渡りずらい感覚で走る車を待つ間は妙に長く感じる。

実際は60キロ近く出ている車も渋谷のスクランブル交差点歩いている人のが速く感じる。

最後の車を見送り、慣れた自転車を立ち漕ぎで進み始めた。

予定の時間まではこのままいけば大丈夫だと思いながらも、立ち漕ぎはやめないでいる。

立冬を迎えた17時はすでに真っ暗でつい先週まで冬が来ないと思うほどの暑さを経験しているため、防寒をしっかりしなかったため肌寒い。

自転車なんて何年振りに乗っただろうか。

あの時は唯一で最速の乗り物も、年と共に変わる。

あんなに見慣れたタイヤも今ではハンドルの先にあるスピードメーターしか見ない。

今はいろんな選択肢がある中であえて自転車を選ぶ。

それがおれの親世代には羨ましく映るという。

きっといま自分らの世代がお酒を飲まないことが増えたのも、

いろんな選択肢があって、

映画見たり動画見たり電話したりゲームしたり

そーゆーたくさんの選択肢の中にお酒があるため、お酒を飲まずともいられるのだろうなと感じる。

親世代はお酒とタバコとパチンコしか選択肢がなかったため、酒を飲むのだと言われると、

今の時代として生まれてこれたことがラッキーのようにおもえる。

ただ、進んだ技術も結局は昔のが良かったと今の世代ですら思うところもある。

それが"お菓子"である。

コンビニでお菓子コーナーを2列に跨いで商品展開している。

私もほんとに大好きであるがこの増えに増え、

品質も良くなったことで、食へのありがたみが薄くなっているのも感じる。

キャバ嬢が一度上げた生活水準を下げることができず、

①「お金がない時はこの"たんぽぽハウス"通ってたのになぁ」

 

※"たんぽぽハウス"とは、主に東西線沿いにある服がほぼタダぐらいで買えるお店である。

 

たんぽぽハウスをやめて、いまではなんだろう。

なんかららぽーととかのメジャーな服屋で新品を買ってしまうような感じだよね。

源氏名はアスカ。

世代が丸わかりな気がするが、僕たちからすると少し上のようだ。

そうして黒く光沢した鞄を胸の高さまで上げて

「今ではコレだからねぇ」

 

 

「やっぱりこれだよなぁ」

飯塚太一はコンビニで弁当を選んでいる

母親から渡された千円で飲み物と弁当を買うとお釣りはお小遣いになる制度を

フルで活用したい飯塚はできるだけ満足できるカツ丼を選ぶ。

小学生の頃から週に一度の習い事でテニスをやっていて、中学に上がるともちろんテニスを部活に選ぶことにした。

飯塚は皆で食べるカツ丼が嫌いである。

理由は人の弁当を勝手に食う奴がいるからだ。

いつも試合が終わり、唯一の楽しみである昼ごはんのカツ丼を食い荒らされて、1番美味いカツのみを食べられたりする。

いじめられているという感覚とはなんとなく違う。

強いものに屈服して命と引き換えに差し出すという行為に近い。

そうやって心を沈める事でいつしかカツ丼を守るためにご飯はみなとは離れて食べるようになった。

だが、この日はみんなの心が一つになって大きなオオカミになってみえた。

 

 

 

「大きなオオカミにみえてきたかも。」

 

明美はすぐに思った事口に出すんだから。」

 

信号で止まると向かいの人についてよく話す。

確かに首にファーのようなものをつけて、髪の毛はたくさんの束が振りかざすように前髪まで垂れ下がり、後ろ髪が跳ね広がり大きなオオカミのようにも見えなくもない。

普段は源氏名で呼ばれるため、アスカ以外で呼ばれるのは心が家に帰ったようおもう。

明美が物心ついてからはおばあちゃんちで過ごすことが増えた。

家のすぐ近くに離れのようなものがあり、最初はご飯だけそっちで食べていたが、いつしかそこの一室に移動して暮らすようになった。

おばあちゃんはおやつの時間をよく設けてくれて半分に割ったバナナを食べさせてくれた。

 

 

顧問の先生が半分に割ったバナナを試合前に食べさせてくれる。

顧問の先生が丁寧に袋まで用意していてそこにゴミを入れていた。

試合の様子はいつもと同じで、どべ争いになる。

試合をすぐ終わらせて、買つとか負けるとかいう概念よりカツ丼を無事食べるという目標を今日も目指してガットに手をかける。

案の定そんな集中していない状況で勝てるわけもなく、すぐに自分のチームの椅子に戻る。

「今日という今日はカツ丼をたべるぞ」

試合が早く終わり、1人でのご飯を楽しめると興奮し、さあ!蓋を開けるとおもったところで、

 

「飯塚おまえなに食ってんの?」

 

2年の先輩だった。

 

「か、か、かつどんです」

 

「ちょっとみしてよ」

 

飯塚は脳の中に汗が出るのを感じる。

さっきまで走っていたはずなのに

体が冷めていくのを感じる。

過去一度でもこんなに頭を使ったことはないだろう。

いろんな選択肢から導き出した答えが

 

「に、にゃぁぁあ!!!」

 

 

飯塚は走り出していた。

カツ丼は両の手で包まれ、揺れていた。

 

「おい!飯塚!まてよ!!」

 

弱いものは逃げるのと同じで

逃げたものを強いものは追いかけるのだ。

飯塚はどうにか逃げ切り、ご飯を安全に食べれるところを考える。

導き出したときにはすでに遅かった。

 

「う、うにゃぁぁぁあ!!!」

 

スローモーションで床が近づくのが見える。

体が反射で手をつこうとしてカツ丼を離す。

痛みは数秒遅れてやってくるのだが、それどころではない。

 

「ぁぁあ!!!あぁ!!ぼ、ぼ、ぼくのカツ丼ギャァぁ!」

 

後ろから追いかけていたはずの先輩の姿はなく、

床に散らばるカツと米を急いで器に戻す。

その時床に落ちていたのは

漫画でもよく見たバナナの皮であった。

 

バナナが出た時はあたりで、

他の煎餅とか金平糖とかが出る時は

あからさまに食べるのが遅くなる。

おばあちゃんがバナナの皮ゴミ箱に放る。

バナナはあの時で1番甘くて確実におやつであったが、

いつしか遠足にすらも持っていくのに質問される。

バナナはおやつである。

しかし、いまこの増えに増えたお菓子の中で、

わざわざバナナは選ばない。

甘くて美味しいスナック菓子やチョコが世に出てから

バナナはおやつではなくなったのだ。

明美はふとそんなことを思い出した。

スーパーには行かなくなって、コンビニで買うことが増えたご飯のなかで

バナナを思い出しているが、

きっと今食べたとしても美味いとはならないだろう。

バナナをキッチンにある包丁で半分に切る。

あの時と同じ半分こだが、

あんまりおいしくない。

そうして一息で半分を食べ、もう半分を冷蔵庫にしまう。

そしてまた夜の仕事の準備をはじめる。

 

次の試合の準備がはじまる。

飯塚ら膝からドクドクと垂れる血を拭うことすらせずにカツ丼を食べる。

少し砂混じりのカツは別に味は変わらない。

座ったここの階段は誰も使わない暗いところで、涼しいし、人目もつかず楽にご飯を食べ切ることができた。

あの時落ちていたバナナの皮はきっと誰かが捨てて、それに焦った自分が滑ってしまったのだろう。

水色階段に血がたれる。

丸い赤い点が2箇所、3箇所、4箇所。

血を拭うものなど持ち合わせているわけもなく、

込み上げる怒りはバナナに向かう。

 

「誰だよバナナなんか持ってきた奴」

 

少し経ってから自分のチームの椅子に戻る。

カツ丼のゴミを今日の全部のゴミが入っている袋に入れる。

 

「ん?あれ」

 

袋には穴が空いていた.

穴というか大きく破れていた。

その大きな穴から試合前に顧問にもらったバナナが入っていたはずである。

その入れていたはずのバナナの皮はきっと飛んでいってしまったんだろう。

飯塚はゆっくりとチームの座席に座り、ゼッケンを外し始めた。

 

 

                  以上