『イマゴオリィイ家』の奇妙なブログ

アフェリエイトじゃないです。一緒にしないでください。

いつだっておれはラブ&コメディの主人公であるという自覚が大切なんじゃないの?

まんせー

日本には懸賞金ハンターという職業を設けるべきである。

っていうのどーかな??

なんか警察はさ、公務員だからさ

別に最悪適当に流してても別に金もらえるけどさ

懸賞金ハンターがいれば

そっち怖くて犯罪減りそうじゃない?

どーかな?

やってみない?一回。

スタイル変えてみてもいいんじゃない?

なんか昼に食うチャーハン理論でさ

チャーハンとかラーメンって昼食うけど

夜だって、食っても、いいよね

どーかな?

こないだの青木の話を少し。

 

1.青木の30円

 

"30円"

この値段はのちにわかるのだが、

若干9歳の時の青木は、冬は寒いからという理由で登校班で歩いてはこない。

当時の小学生ファッションの流れは半ズボンに長袖でさらに年齢を追うごとに進化するカルチャーの最後は上着の腰巻きであった。

そのなかで青木は1人半袖長ズボンという当時でいうと"イケてない"ファッションをしていて、

思えばその時から彼に時代や環境をぶち壊そうとする考えがあったのかもしれない。

今の我々のカルチャーを知ろうとする流れや、自分を探そうとする流れを作ったのは、他でもない青木なのだが、キッカケは当時だれもセンサーを立てなかった音楽。

"ロック"だった。

青木の家は地区で言えば"スズラン"というところで、うちは"知手光"で自転車で言えば5分もかからないところにあった。

そこの一角には同い年の3人アンデレ、小野田、そして青木。少し離れたところから樹が常に一緒に遊ぶ。いわば幼馴染なのである。

私がよく遊ぶのは"うずも地区なのだが、二回だけ青木の家に遊びに行ったことがある。

1度目は遊戯王をしにゆき、そして2度目。この時はもう13歳か14歳だったとおもう。

その時には青木の部屋にはパソコンがあり、唯一のインターネットが通った環境を持っていた。

そこで初めてみたミュージックビデオが

RADWIMPS君と羊と青だった。

そしておもむろに棚から取り出したRADWIMPSのアルバムを公文の英語の際に使うCDプレイヤーに入れ、乱雑に押された再生ボタンはもはや字が擦り切れて消えていた。

ヘッドホンから再生される音楽と歌詞とメロディと画面から流れる映像全てが真新しく、完璧に作り込まれた作品をみて、度肝を抜かれた。

そしてRADWIMPSと同時にUVERworldを知った。

青木は俺たちにまさしく、

 

"海を知らないものに海を見せ、

そしてその海を越えればまた違う島がある"

 

ということを教えてくれたのだ。

そんな青木は現在バンドを組み、

日進月歩着実に月へ向かおうとしている。

今は家を追い出されてしまったんだが、

こないだから行きつけのパン屋を見つけたらしいのだが、青木が通うその理由が、

「パンの耳が10円で袋いっぱいで買えるから」である。

バンド活動で忙しい青木にとって、こーゆーありがたいものには目がない。

そして買い物を済ませ、すぐにアーティストへもどる。

あの日青木が言ってた。

ブルーハーツのさ、このアルバムのさ、1000のバイオリンあるじゃん?

 あれ聴いてさ、すぐに1001のバイオリンがながれるじゃん?

 あの、甲本ヒロトの言いたいことがさたぶん

 "1000のバイオリンがあります。1001のバイオリン も あります。"

 って感じだよね。」

今になればその事に深く理解できる。

1000のバイオリンだけじゃないぜ。

1001だってあるぜ。

枠から外れたやつだってバイオリンだぜ。

という事なのだろうか。

だからだろうか

青木がいつも買うパンの耳が10円なのに、

袋が30円かかるというのわ。

袋すらもパンの耳だとでも言いたかったのだろうか。

"アイスクリームみたいに溶けてった"のは

青木の脳の思考回路だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

2.ピンクサロンピンサロ

 

雨の日は遊べない。

小学生の頃は雨の日となると憂鬱で、常に外で遊んでいた私からすると、家で1人でいる時間というのはとても退屈で長く感じた。

「鐘の音が鳴ったら帰ってきなさい。」

そう言われていたのに門限を破ったことが三回だけある。

帰れば家の鍵が閉まっていて、母がドア越しに

「反省するまで中には入れません!」といった。

そうして外に締め出された時になんとも言えない"自由"を感じることができた。

夜に外にいること。門限なしに外で遊べると思い、外で1人でサッカーをしだした私を、

2時間後に母が中に入れてくれて、あったかいシチューを出してくれた。

遊ぶ時は必ず遊戯王ポケモンカードと水筒を持って出かける。

いつも行けば誰かがいるうずも公民館の前でまつ。

すでに誰かいる時もあれば、お盆の時期とかは実家が近い私は知らなかったが、みな帰省をするため、何時間待っても誰もこない。

帰って満タンに入れた水筒の麦茶をそのまま明日も持っていく。たとえいないとわかっていても、もしかしたらいるかもしれないので、ゆく。

うずも公民館のガラスの扉には数字を押すタイプの南京錠がかかっており、その番号はなぜだかみんな知っていた。

そして勝手に開けて中の冷蔵庫のアイスを勝手に食べたり、鬼ごっこした際に隠れたり、ショートカットするために使われた。

いわゆる市営住宅の一角にある公民館もいつしか立ち入り禁止になっていて、

なんならこないだ見たら市営住宅自体が立ち入り禁止になっていた。

自分が昔遊んでいた場所や住んでいたところが整備されて行って、淘汰されてゆく。

昨日まで知らなかった顔が、今から知った顔になるような

そんな異質な怖さを

日々時間が進むことへの怖さを感じていました。

やめるやめるといっていたタバコに火をつけて

今年の年末も神栖でデリヘル呼ぶことが決定しました。

31日の仕事終わりに実家に帰ってパチンコ行って、デリヘルよんで、寝ないで成田で飲んで、朝が来たら韓国。

全部やるから

全部書くから

全部を記録して

今年のシメは次回にします。

明日は早起きして大掃除するんだっ

朝起きたらスペシャ

またかく。

                   いじょ