『イマゴオリィイ家』の奇妙なブログ

アフェリエイトじゃないです。一緒にしないでください。

全部を話す時が来たんだよ。

まんせー

しのごのいわずに

まずはこないだの夢の話するわ

 

それは…8/5日の夢の話…

 

〈SE〉〜ほわんはわんほわん〜

 

 

 

なんかねまあエロい夢の話なんだよ

エロい夢の話だけどまあきいてよ

 

なんかすっっっごい可愛い子がいて

その子といたすことになったんだよ

めっちゃ可愛くて

やばってなるじゃん?

風俗だったんだけどね

なんか夢って飛び飛びじゃん?

いきなり始まってさ

「なに!?え!?なにこれ、え??」

ってなったらなんか解説みたいなの入ってさ

 

  〈〈〈説明しよう!!!!〉〉〉

みたいな

この人はだれだろう。ん??あっ風俗かここわ!

みたいなので

めっちゃ雰囲気よくて

なんか掛け合いみたいな

興奮してさ

うっわーやっべーってなってて

じゃあぬぎまぁぁす

って瞬間にさ

なんかバゴーンって扉が吹き飛んで

なんか丹下段平の七倍ぐらいのやついて

もう開いた口が塞がらないわけよ

「えっ!?」

とか驚いた隙に

そのめっかわの女の子が連れてかれてさ

「きゃー!!!」

みたいな

で俺も焦るわけよ

「え、なんでっ」

ってなった時に

また解説が入るのね

 

〈〈〈説明しよう!!!〉〉〉

 

「へぇ〜なるほどね。

 あの子は借金をしてるのかぁ」

 

みたいな不思議な夢をみて

生殺しのポコチンをもって

今日もオッキオッキ‼️

エロアカウントとしてこのブログを

四年目にしてfc2に入り込んでいこう!

なーーーんておもってます。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、こんな前置きはさておき

重要な話を今からするから

心して聞くように

 

まあちゃんとした家の話をしようと思います。

何度かなんかエピソードみたいな感じで話したことあるけど

おれの24年間の主観の景色をかきますよ。

 

 

 

 

 

〈父の話〉

父が初めて自分を殴ったのは4歳だった。

何が理由かは思い出せないが、腫れた瞼が左目に雲がかかるように視界を狭める。

殴られた瞬間は思い出せないが、振るった拳が震えてたのは覚えている。

悶え苦しみ泣きじゃくり、次の日に鏡を見た時に青白い膨れ上がった瞼がぎょうざのような跡が残っており、触った感触はまるで自分の皮膚ではなかった。

父は自分には容赦がなかった。

父は朝は機嫌が悪い。

帰りがいつも遅く朝も早いとなると寝起きは最悪なのは必然だった。

会話はおはようとおやすみのみで

ない時はないし、あっても勉強のことで、自分が机に向かう姿を見たこともないのに放つトゲのある言動に嫌気がさして言い返せないぐらいきつい言葉を言ってしまったこともあった。

小学生の頃に大川くんと話したことに驚いた。

大川くんのお家では父親から怒られたことがないのだそう。

そこで自分の価値観かこのようにして生まれていくことを悟った。

自分の家の常識は他人の家にはないことがわかった。

だから考えるようになった。

中学生に入り、思春期も反抗期もあり、なかなか心に余裕を持つことができない毎日の中で

会話はさらに減った。

姉は受験のストレスを俺にぶつけ、父は仕事のストレスを家庭にぶつけ、人の顔色を伺いながら生きる術を得た。

学びの場であれほど楽しい時間はなかったし、面白いことをただ毎日やるだけで良かった。

それとは正反対に青白い蛍光灯の下でご飯を母と2人でよく食べていた。

母と父が喧嘩したのを見たのは一回だけ。

何で揉めたかはわからないが泣きじゃくる母を遠目で見た時に自分と重なった気がした。

次の日にはケロッとしている母をみて、父は気まずそうな雰囲気でいたのを覚えている。

部活動とは便利なもので、

そーゆー気まずい流れの時は一言

「バスケしてくる。」といえば逃げることができる。

好きな女の子と夜会う時も同じ手を使っていた。

その日一度も使ってないボールをいつもの場所に戻すが、少し汚れを増やしておく。

父が俺を最後に叱ったのは高校に入ってすこしたった時のことだった。

ほんとに怖かったから詰められるとすぐ泣いてしまうのはこの頃まであった。

内容はこれも覚えてないが、ここで初めて反撃をしようと思った。

高校は仲のいい友達ともバラバラになり、

うまの会う人がまだこの時はいなかったため、部活を一生懸命に頑張っていた。

体も作っている途中だったのでパワーには自信があった。

いつも何倍にも見える父に飛びかかってぶん投げて、でも顔蹴られて顎にヒットしてバタンキュー引き分け。

初めてその時に言えたのが

手を出すなとか優しくしろよとかじゃない

心の中の純粋な気持ちがでた。

 

「なんでおれと遊んでくれなかったんだよ。お父さん」

 

倒れた父がすぐ立ち上がり何も言わずに会社に向かっていった。

人と本気でぶつかったのが初めてで

しばらく立つことができなかった。

母が最近買ったお気に入りの扇風機を薙ぎ倒して、少し曲がってしまい、母が笑って

「あーあ。これ新しいのにぃ笑」

と微笑んでいたことも覚えている。

それから父との会話がほとんどなくなり

大学が受かったことで夢の一人暮らしが始まった。

引っ越した先に桜並木があり、少し浮き足立つ自分と全く同じ背中が目の前にあった。

それから中退するまでの父との記憶は全くない。

ちちは中退することを俺が選びお花をやりたいことを伝えた時はなんだかんだ怒ってたけど応援してくれていたと思う。

そこら辺から父が優しくなった。

同時期に母も亡くなり、孤独を怖がったり、死を目の前にした時に自分の番が来るやもしれない見えない暗闇に父もやられていたのかもしれない。

父とそこで初めて普通の会話をするようになった。

"最近どうなんだ" とか"コロナになった"とか

褒めることなんてなかったのに

「カイトの豚汁うまいなぁ」とか

「この鍋また作って」とか

そーゆー自分の人生でなかった初めてのことがたくさん起こるようになった。

でも居心地が悪かったり、人のする行動になぜと考えてしまったりもした。

自分を急に大切にするようになったり、優しくされるようになったときに

相手が弱くなっていく情けなさを感じてしまう。

それがたまらなく嫌である。

それをみておかしいとおもう自分も嫌である。

思い出せることがいい事ばかりではないが、悪い事ばかりでもないし、

母のいない暮らしの中で戸惑う俺も父も頑張って立て直してなんとかしようとしていた時に

初めて"家族"に入れてもらえた気がした。

そんなもん鼻からできてるやついるけど

かなり遠回りして繋いでくれている人とか感謝したいと思う偉大な人に出会えたことも

全部寄り道のおかげだと思う。

 

そんな父がこの度再婚をいたします。

彼女できて、上手く付き合っていて

すげー心が浮ついてて、地に足がついていないように見える父や

50にもなって好きな人と好きなだけ一緒にいたいと思っているところも

全部良い。

ほんとに良かったと心から思える。

父の心の隙を埋めることは俺にはできないから、

それをしてくれるのがものすごく嬉しくおもう。

とにかく自由に生きてほしいのと、無理せず長生きしてほしいと節に思うきもち、

それになんといっても

一度も言えなかった感謝の気持ちを

この景気のいい時に言えなくていつ言えるのか。

俺は結婚はできないだろうから

俺からの祝いなんて最初で最後だ。

 

 

ありがとう大好きだよ。

 

 

その気持ちを込めて

花を少し作って写真撮ってくるから

みんなで見ようねっ

また近々書くと思うから

そんときはまたエロい話しよ。

                   いじょ